みじかめテツガク

日々の考えを、格言っぽくまとめる。

洗い物の手間を半分にする方法

ご飯が炊けないのではない。

洗い物ができず、シンクが常にぐちゃぐちゃでは絶望するから、料理ができない。

洗い物の手間を半分にする、簡単な方法がある。

お湯で、洗い物をすればいい。洗剤は基本いらない。

洗剤をつかうと、

食器に洗剤をつけたスポンジで洗う+洗い流す

という2度手間だが、

お湯だけならそれが1手間ですむ。

これだけで、料理が続くことを祈る。

 

プラスαで付け加えるなら、フライパンや鍋は食事前に洗う、という手もある。

これも、きほんお湯だけだ。味噌汁作った鍋に洗剤なんかあるわけがない。

多少の炒め物程度なら、お湯でささっと洗ってしまう。

大きいものがないだけで、洗い物の負担は半分以下だし、早く食べたい衝動に駆られながらやる洗いものは心理負担ゼロだ。

ぜひお試しあれ

 

プラスααでいうと、

プラスチック製の食器を使うのも基本なしだ。臭いも汚れも取れにくいうえに、乾きもわるい。100均で買ったプラスチック製の食器は、是非とも捨てていただきたい。

これで、洗い物は実質内も同然だ。健闘を祈る。

 

子供は大学に行かせず、時間を与えてみる

少子化が、先進国ならどこでも問題になっている。

結婚するのが当たり前の時代から、もっと多様な生き方があることを知らせたのだからそりゃ少なくもなる。

ただ現代こそ、子供をつくるほうが良い生き方ではないかと提案していきたい。

ではそもそも、なぜ昭和の人は10人近くも子供がいる家庭が普通だったのだろう。

なぜアフリカの人々は、子供をたくさん産むのだろう。その人たちとの違いを考えてみる。

 

昭和の人が、なぜたくさん子供を産んだのか、chatGPTにきいてみた。

・労働力確保

・老後の保証

・価値観のちがい

・避難技術の未発達

・乳幼児死亡率のちがい

 

などがあるという。農業を営んでいると、人手が欲しいので子供がいる。また、子供がすぐ死んでしまう可能性があるので、たくさん産んでおく。これらは、アフリカの人々ともおなじ考え方だろう。

 

この中で現代と当てはまりそうなのが、老後の保証と、価値観だ。

今は国からの手厚い保証金があるとおもいきや、少子高齢化によって本当に安心かはわからなくなってきた。

ならば、将来の介護が必要になった時に自分の子供を頼れるよう、こどもをたくさん産んでおくのは現代でも理にかなっていそうだ。

 

また、価値観はどう違うだろうか。昭和の価値観は子供が、親を扶養するのは当たり前であり

、子供をたくさん作ることは繁栄の象徴でもあったようだ。

ではこれからはどうだろう。AIによって、仕事がなくなり働くてもいいような時代になるとしたら。承認欲求をひたすら満たし続けないと満足できない環境のなかで、ほんとうに社会に意義のある人間だと感じるにはどうしたらよいのだろうか。

それは、子供を産むことなんじゃないだろうか。

とにかく10人くらい子供を作れば、1人しか子供を作らない人に比べて、10倍の価値が自分にはあると思えるのではないだろうか。

子供を産んで育てることで、自分は社会に必要な人間だと思えるのではないだろうか。

 

もしこれらの考えをもとに、子供を作ろうと考えたとする。ここで問題になってくるのがお金の問題だ。なぜ、そこまで子供にお金がかかるのだろうか。昭和の時代より、はるかに豊かになった現代で、なぜ子供にお金がかかるのだろうか。

 

昭和とのちがいを、またchatGPTにきいて考えてみる

・教育費の高騰

・生活水準の向上

・医療費の増加

・考え方、ニーズの変化

・少子高齢化による公的負担の増加

 

一人一人のこどもに対してもっとお金をかけようと思うのは、当然のことなのかもしれない。

もし、お金だけが少子化の原因であるなら、ホワイトカラーの人々が子沢山でないのは説明がつかない。お金があればあるほど、バレイやバイオリン、塾や私立小学校など、1人の子供にいくらでもお金をかけようというのが現代の価値観である。

また、医療が発達してしまったがゆえに、身体が弱く生まれてきた子供に、いくらでもお金をかけて生き延びられるようにできてしまったのも一つの要因かもしれない。残酷な言い方ではあるが、弱い子供はいままでなら死んでいた。いまはお金をかければある程度は延命できる。

これではいくらお金があっても足りないわけだ。

 

では、これらの問題をどう解決するか。正直、身体が弱い子供が生まれてきた時、お金がかかるので医療はしません。と言える人はまずいないだろう。これに関しては、どうしようもないというのが現状ではないか。

ただ、健全に生まれてきたこどもにお金をかけないということはできるのではないか。

保育や病院にお金がかかるのであれば、手厚い手当がある地域に引っ越す、親や祖父祖母の力を借りることで軽減できるのではないか。

また、現代は教育費にお金をかけなくてもよい時代になりつつある。スマホのおかげで、国語なら日本でも有数のトップ教師、林修の授業を繰り返しきくことができる。

アホみたいに高い塾に通わなくても、わからないことはchat GPTにきくこともできる。

また、大学の新卒の意味が薄れてきている今、本当に大学に行かせることが子供のためになるだろうか。

それなら、大学で休学するように、家で住みながら自由な時間を1.2年与えてみてはどうだろうか。

働いてもよし、遊んでもよし、1日中ゲームしてもよし、旅に出てもよし、興味あることを勉強しても良い。

大学は時間があるから、今後の人生を考えるキッカケになると言う人もいるが、大学生も、意外と単位やバイトで忙しいものである。

 

海外ではギャップイヤーと呼ばれている、習慣だそう。日本でもこの考えを取り入れる人がふえればいいのになとおもう。

 

結論。

子供をたくさん産めば、老後の保証になり、どんな時代になっても社会に存在していいと強烈に思えるようになる、かも。

子供をたくさん育てるには、子供にできるだけお金をかけない育て方をする。

子育ての関心が高い地域に引っ越す、または家族の力を借りる。などの方法が考えられる。

 

ps.まあリアルな話をすると、セックスするにしても避妊具つけずに何十年も奥さんと過ごせるならそれだけでも十分幸せなんじゃないかとおもうね。セックスレスの原因はコンドームにあるんじゃないかと思いたくもなってくる。

 

 

生きがいは短所にあり

得意なこと、好きなことのなかにいきがいはあるのか。

身体が昔から弱い。なにをやってもすぐ疲れるし、風邪もひきやすい。

玄米を食べ始めて、食べ過ぎをやめたら面白いほど身体が軽くなった。

これを他の人にも知ってほしい。これは生きがいではないか。

 

生の実感とは、死に近づくこと。

美味しいものを食べたければ、腹をすかせる。

やる気を出したければ、ただ何もせず。

生きる実感を得るには、死に近づく。

ただやみくもにバイクで暴走するのではなく、死を意識する。

自分が死んだ時、周りの人はどう思うか。それを考えることは、今を生きることに繋がる。

子供を産むのは損?

子供はお金がかかり、子供がいる方が幸福度も下がるという研究結果もあるらしい。

なら、子供はいない方が人生において得なのだろうか。

そういう人も、もちろんいるだろう。今までは結婚や子供を作ることがあたりまえで、それらに向かない人も無理やりしていた傾向はある。

さらに今は核家族化も進み子育てがしずらく、キャリアウーマンは子供を産むか仕事を取るかの選択を迫られる機会も増えてきた。

男性も、snsでは簡単に何人もマッチングしては遊び、面倒な彼女や奥さんがいらない、という人もいるだろう。

これらは、自分の幸せを追求し、楽に、自由に生きようとするものであるとおもう。

では、自由にいきること、お金を稼いで楽に生きることは、ほんとうに人生を充実させるのだろうか。

自由であるとは、逆を言えば選択しなければいつまでも適当な生活が続くということでもあり、

楽な人生とは、充実な人生とはいえないかもしれない。

これだけ選択肢がおおい人生で、やりたいことが見つからずに悩む人も多いだろう。

そういう人こそ、結婚して子供を産んでしまえばいいと思う。あえて苦労をすることが、人生の充実につながると思うからだ。

仕事はつらいものだが、社会的意義や、生活の充実感を与えてくれるものでもある。

定年退職した人が、やることがなくなってボケてしまうのもそのせいだ。

人間は、楽をすることが生きがいにつながることはなく、苦労と充実はセットなのだ。

この考えにいたるなら、子供を産めば産むほど大変にもなるが、人生で暇な時間などなくなるだろう。毎日がバタバタで、不倫をする暇もなく、働いて、子育てをし、子どもとたわむれ、子供が問題をおこし、病気にもなり、引きこもるかもしれないが、成人して1人立ちし、自分の人生を振り返ったとき、笑えるくらい充実しているかもしれない。