みじかめテツガク

日々の考えを、格言っぽくまとめる。

生きがいは短所にあり

得意なこと、好きなことのなかにいきがいはあるのか。

身体が昔から弱い。なにをやってもすぐ疲れるし、風邪もひきやすい。

玄米を食べ始めて、食べ過ぎをやめたら面白いほど身体が軽くなった。

これを他の人にも知ってほしい。これは生きがいではないか。

 

生の実感とは、死に近づくこと。

美味しいものを食べたければ、腹をすかせる。

やる気を出したければ、ただ何もせず。

生きる実感を得るには、死に近づく。

ただやみくもにバイクで暴走するのではなく、死を意識する。

自分が死んだ時、周りの人はどう思うか。それを考えることは、今を生きることに繋がる。

子供を産むのは損?

子供はお金がかかり、子供がいる方が幸福度も下がるという研究結果もあるらしい。

なら、子供はいない方が人生において得なのだろうか。

そういう人も、もちろんいるだろう。今までは結婚や子供を作ることがあたりまえで、それらに向かない人も無理やりしていた傾向はある。

さらに今は核家族化も進み子育てがしずらく、キャリアウーマンは子供を産むか仕事を取るかの選択を迫られる機会も増えてきた。

男性も、snsでは簡単に何人もマッチングしては遊び、面倒な彼女や奥さんがいらない、という人もいるだろう。

これらは、自分の幸せを追求し、楽に、自由に生きようとするものであるとおもう。

では、自由にいきること、お金を稼いで楽に生きることは、ほんとうに人生を充実させるのだろうか。

自由であるとは、逆を言えば選択しなければいつまでも適当な生活が続くということでもあり、

楽な人生とは、充実な人生とはいえないかもしれない。

これだけ選択肢がおおい人生で、やりたいことが見つからずに悩む人も多いだろう。

そういう人こそ、結婚して子供を産んでしまえばいいと思う。あえて苦労をすることが、人生の充実につながると思うからだ。

仕事はつらいものだが、社会的意義や、生活の充実感を与えてくれるものでもある。

定年退職した人が、やることがなくなってボケてしまうのもそのせいだ。

人間は、楽をすることが生きがいにつながることはなく、苦労と充実はセットなのだ。

この考えにいたるなら、子供を産めば産むほど大変にもなるが、人生で暇な時間などなくなるだろう。毎日がバタバタで、不倫をする暇もなく、働いて、子育てをし、子どもとたわむれ、子供が問題をおこし、病気にもなり、引きこもるかもしれないが、成人して1人立ちし、自分の人生を振り返ったとき、笑えるくらい充実しているかもしれない。

目指す幸せのかたち

ほんとうに、幸せを目標にするべきか。

600万年近く生きてきた人類が目指したのは、繁殖と生存だ。

他の動物と同じく、これを目指した。

 

しかし現代では、幸せになろうとする。幸せといった幸福感は、すぐに消え去るように脳はプログラミングされている。なぜなら、現状に満足し続ければ、次の獲物を捉えたりすることを控え、繁殖数もおさえることになるからだ。

 

じゃあ、いま目指すべきゴールとはなにか。

繁殖することが全てではなくなってきた。1人1人の複雑な人生を考えると、子供を作らない選択肢を取る人もいる。

では、長生きすることか。

つまらないクソみたいな人生で、長生きしたいと思わない人も多い。ボケる前に、癌で苦しむ前に、人生を終わらせたいという人も多い。

 

なら、何を芯に生きていくのか。ただ無目標に生きるのか、目の前に目を向けることか。

今も昔も変わらない目標をたてるとすれば、それは元気でいるということではないかと思う。

元気でいれば、つまらない仕事にも取り組める。これといっていいことがなくても、元気でいればなんか楽しい気がしてくる。

子供がまさに理想ではないかとおもう。元気に遊び回ってる子は、ただただ元気だ。擦りむいて大泣きしても、すぐ立ち直る。いやなことや思い通りにいかないことしかなくても、土でもいじってれば楽しくなってくる。

 

昔の何万年前の人類も、踊ることを覚えていた。元気に踊っていたのだ。

言葉がまだ話せない立ったばかりの0歳児も、音に合わせて身体をゆらす。

 

元気とは、健康だ。そして笑いでもある。

心身一体となり、心も体も元気にしていく。長生きのための健康ではなく、今を元気に生きる健康だ。これを続けていくことが、現代の人類も普遍の目標ではないかと思う。

つまり、身体に悪い牛丼を食っていい気分になることはたまには大事だが、毎日食い過ぎて具合悪くなるなるなというようなことだ。

とりあえず死ぬ前に、元気になってみようかと考えてみたい。