みじかめテツガク

日々の考えを、格言っぽくまとめる。

過去の自分を許してあげたい

2023.1.23

 

いま26才。

20くらいのときはひどかった。社会になじめない変なやつ。

 

遅刻はするし、コミュニケーションうまくとれないし、プライドだけはたかくて、アスペっぽいからあいさつもしない。する意味がわからないって思ってた。

 

その頃の自分を、ふと思い出したとき、嫌な気持ちになる。

言葉で人を傷つけたし、迷惑かけたし、怒らせた。

いまは、その気持ちを持つことがせめてもの代償だと思ってる。

けど、ツラいものはつらい。

 

いまの職場に、昔の自分をみているような人がいる。めっちゃアスぺ。

そのひとの言動に、いちいち反応して厳しい言葉を言ってしまう。

過去の自分がきらいすぎて、その人をせめてしまう。

 

でも、職場でその人の話題になったとき、けっこう盛り上がる。あいつアホだなって言って。

 

自分も、もしかしたら周りにネタにされて笑えてたときがあったかもしれない。

迷惑だし、うざいけど、なんか面白いやつって思われてたときもあったのかな。

 

自分勝手な考えかもしれないけど、なんとなく昔の自分を少し許せるようなきがした。

 

イヤな部分じゃなくて、ネタにできるような部分も見つけてあげたい。

そうしたら、職場の後輩にも、優しくできるかな。

波長が合わない人、どう付き合うの?

 

職場に波長が合わない人がいる。

まったく嫌いじゃないし、苦手でもない。ただ、なんか合わない。

話すリズムやテンポなのか、声の大きさなのか、話してる内容なのか。何かが合わない。

 

その人と一緒に仕事する時、なぜか黙ってしまう。

他の人と話すときは気軽に話せるのに、なぜかその人がいると、ダンマリをきめこんでしまう。

きらいじゃないのに、きらいな雰囲気がでてしまう。

だから無理して笑うと、悪化する。

 

そのままでいいのかな。なんかいやなんだよな。

 

いままでの人生ストックに、似たような人がいないのかな。

だいたいこの人はこのグループの人だから、こういう話し方でいい、とかあるけど、この人独特すぎて関わり方が難しいのかな。

 

なんか、頭がエラーおこしてる。

 

だから、話す価値があるのかな。

あの人は、わからないグループに分けておこう。

陽キャでもインキャでもないあの人。

むずかしいなあ。

 

 

瞑想の気づき

 

瞑想をはじめてやったときからもう数年は経つ。

時間がとれなかったり、メンタルが安定していないときなど、瞑想をしない期間も多かった。

 

最近は生活もメンタルも安定してきて、瞑想もしっかりやれている。

 

きのう、瞑想をやっていてひとつの気づきがあった。

瞑想の本をよんでいると、4秒すって8秒吐くというのをよく見る。

これができるときとできないときがあって、呼吸が苦しいときがよくあった。

それでもむりして4秒と8秒を数えながらやっていたが、やはり苦しかった。

 

昨日の気づきは、無理してやる必要はないということ。

心拍数が高いときは呼吸が早くなり、リラックスしているときは呼吸もゆっくりになる。

 

だから、無理して呼吸をゆっくり深くしていたけど、いきなり心拍数が低くなるわけもない。

心拍数がいがいと高かなっていることに気づき、それに合わせて呼吸は速くなる。

無理して呼吸を遅くせず、瞑想続けて5分でも経つと自然に心拍数も呼吸も落ち着いてくる。

 

それから、4秒吸って、8秒吐くが自然にできるようになってくる

 

こういう気づきがあるのが瞑想はおもしろい。

 

まじめはつまらない。?

まじめになることは、おもしろくない人になることだと思っていた。

 

周りの友達が男ばかりで、笑いこそが友達の証だった。

いいやつで仲良いひともいるけど、基本はそいつが面白いかどうかで付き合う人を無意識に決めていた。

 

めちゃくちゃ面白いけど、人間がクソみたいなやつもいた。でもそいつといたら面白いし、そいつと付き合うことで、自分も面白いやつなんだと思えた。

 

面白いやつ、というステータスを保つために大事なことはいくつかあるが、1番は「ノリ」と言ってもいい。

 

テスト勉強中に、ウイイレをやる。

禁煙中にタバコにさそわれて、吸う。

アポなしで家に来られて、遊びに行く。

 

断りたいけど、つまんなくなりたくないから断れない。

そんな考えが、無意識のうちに刻み込まれていた。

 

そうやって生きていくと、ある壁にぶち当たる。

まじめになりたいという欲求と、不まじめに生きる面白さとの壁だ。

 

毎日勉強し、早く寝て、買っちゃったノリもせずに貯金をする。

こういう生き方は、つまらないし、そういう人をつまんないやつだと思ってた。

 

ただ大人になるにつれて、夢を追いかけるにつれて、まじめに生きなければという欲求も生まれる。

まじめな大人になんかなりたくねえって、まさにパンクのあいさつのようなことを本気で思ってた自分にとって、まじめになることの葛藤は大きかった。

 

ただそんな時、あることを考えた。

 

まじめなやつって、本当に面白くないのかな??

 

芸人が全員、だらしないダメエピソードを話しているかといえばまったくそんな事はない。

 

まじめにネタを作って、めちゃくちゃ面白い人がたくさんいる。

 

話術で笑わせる人がたくさんいる。

人とは違うことをして面白いことをしてる人もたくさんいる。

 

なら、まじめになっても面白いやつでいることはできるじゃん。って気づけたことは大きかった。

 

いまでは健康について調べまくった結果、健康オタクというじぶんでもなかなか面白いとおもえるキャラになっている。

26歳の男がクソまじめに無添加ミックスナッツを食べて、サラダも山盛りたべて、玄米を圧力鍋で炊く。

極端だとは思うが、まじめでも面白いやつになれるという気づきがなければずっと、だらしないやつだったとおもう。

 

 

 

 

 

 

味覚が弱いことの強み

昆布だしのとれた水と、ふつうの水の違いがわからなかった。

 

味見した時、周りの人は昆布の香りがちゃんとでてるという。

「はい、味覚音痴〜」といじられる。

 

昔からのいじりだから慣れているとはいえ、悔しい。

味がわかるようになるのはカッコいいとおもうし、美味しさの世界が広がってもっと幸せなのかなとも思う。

 

味の濃いものを食べすぎたり、亜鉛が不足したりすると味覚が衰えるらしいが、生まれつきの味覚の差の方がはるかに大きい気がする。

 

自分は味見をした先輩より、普段の味付けは薄いしタバコは吸わないし亜鉛も摂ってる自信がある。

それでも味覚に差が出るのはしょーがない。

 

でも、ふと思う。

味覚が弱いのは本当にデメリットなんだろうか??

 

実はそんなことないんじゃないか。

そこで色々考えてみた。味覚が弱いメリットを。

 

まず思ったのは、彼ら(味覚がある人たち)は

本当に美味しいものしか美味しいと思えないんじゃないか?

僕らは味覚が弱い分、そこまで美味しくないものも、美味しいと感じてしまうようだ。笑

 

まわりにもいないだろうか。なんでも、美味しい美味しいって言いながら食事してる人。

 

彼女や母親が作った、やや雑な手料理も美味しいと感じれることはお互い幸せなんじゃないだろうか。

 

少なくとも、なんでも美味しいとはかんじなくても、適当な味付けのものを何も感じずに食べることができる。これが僕らの力だ。

 

これは自炊にも活躍してる。

適当に塩かけて作った料理でも、ベチャベチャのチャーハンでも割と満足できる。

 

しかし味覚のいい人は、細かい味付けができるくらい能力がないと、自炊を続けることをやめてしまうんじゃないだろうか。

 

彼女の手料理に満足できないんじゃないだろうか。

コーヒーを飲んで、ここのコーヒー美味しいね。って言うくらいしかできないんじゃないだろうか。

 

これは完全に妬みだ。僕は飲食店を開きたいと思ってるからなおさらだ。ただただ、味覚がほしい。

 

しかし、物事にはいい面もわるい面もあるんじゃないかということで。